日本のマンションの歴史~その2

100年価値を保つには

日本のマンション~その1」では、マンションの定義、そして日本最古のRC造集合住宅から分譲マンションの始まりまでを整理しました。
そしてここから日本はマンションの大量供給時代に突入します。

マンションの大量供給時代(1960~1970年代)

戦争による住宅の消失と海外からの引き上げによって1950年の住宅不足は340万戸に達していたそうです。戦後の住宅政策は、住宅の大量供給がテーマであり、その役割を担ったのが、1955年に設立された日本住宅公団です。画一的な板型のRC造の集合住宅が何棟も連なる「団地」が、日本全国の都市で建設されました。当時の建築基準では、5階建てまでエレベーターなしで建てることができたので、5階建てに統一された建物が、同じ方角に何棟あるいは、何10棟も連なる姿は、この時代を象徴する風景と言えるでしょう。

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団長も、幼少期をこの「団地」で過ごし、団地の子供達と一緒に一年中敷地内の公園や広場で遊び、自治会が主催する季節のイベントも毎年楽しみにしていた思い出があります。
今となっては、画一的で没個性などと言われますが、安全かつ開放的で豊かなコミュニティがそこには確実に存在していました。
現在は、プライバシーとセキュリティ、居住性の向上と引き換えに、閉鎖的になり、コミュニティが失われてきているのではないかと思います。

そして、制度面では、マンションの大量供給が始まった頃の1962年に区分所有法が制定されます。
同潤会アパートメントの払い下げや四谷コーポラスが分譲されてから、かなり遅れての法整備ですが、戦後の混乱と復興に向けた急激な環境変化においては、それどころではなかったのでしょう。

この大量供給の時代を経て、日本のマンションにとって大きな節目を迎えるのが1980年代です。

新耐震基準と標準管理規約(1980年代)

1978年に発生した宮城県沖地震(M7.4)の家屋倒壊が甚大だったことから、1981年の建築基準法の見直しで、耐震基準が大幅に厳しくなりました。1981年6月より前の基準を「旧耐震基準」、それ以降の基準を「新耐震基準」とされています。
法律制定後の大地震は1995年に起きた阪神淡路大震災(M7.3)でしたが、旧耐震基準の建物の危険性が再認識され、それ以降現在においても、旧耐震基準建物の建替えもしくは耐震補強を促す政策がとられています。

そして、1982年に中高層共同住宅標準管理規約(現在のマンション標準管理規約)が制定され、1983年に区分所有法の全条に亘る全面改正がなされました。
区分所有法においては、管理組合の存在と規約の存在が基本となり、義務違反者に対する措置もこの時に追加されました。
区分所有法では、主に権利関係を中心に定められていますが、「管理」に関してはあまり細かい規定はなく、特別決議事項や義務違反者に対する措置などの強行規定以外は、「規約で別段の定めができる」として、個々のマンションが任意に定める管理規約が法律に準ずる強制力を持つことになりました。
管理規約は自治的に定められるとはいえ、公平性を欠いたり、行き過ぎた規制が横行しないように、国土交通省が「ひな型」であるマンション標準管理規約を公表し、時代の変化や判例に合わせて逐次改訂がなされています。
新築マンションの分譲会社は、原資規約をこのマンション標準管理規約に準じて作成して初代の管理組合に引き継ぐので、1982年以降に分譲されたマンションの管理規約は、どこもかなり似かよった条文構成になっているのはそのせいです。

この時期に、近年の「マンション管理」のベースができたと言えるでしょう。

マンション多様性の時代(1980~1990年代)

バブル経済の波にのって、マンションは大量供給型から、個性的で高い品質を追求するようになっていきます。外壁はタイル張りになり、豪華な共用施設が設置されたり、オートロック、広いロビーにコンシェルジュサービスなどもこの頃から始まりました。

また、超高層マンションや、リゾートマンション、ワンルームマンションなど多様なマンションの形態が広がったのもこの時代の特徴のひとつでしょう。

マンション管理の草創期(2000~2010年代)

毎年10~20万戸のマンションが供給されるようになり、これから先、高経年マンションが増加することが確実な中、良好な管理によって恒久的に価値を保つことができそうなマンションもあれば、管理不全でスラム化が懸念されるマンションも出てきました。

まさに「管理」が重要性を増す時代が到来した中、その管理を支援する役割であるマンション管理業者の不正や不祥事が相次ぎ、管理組合の預金すら消えてしまう事件などを受け、2001年にマンション管理適正化法が施行されました。同法では、マンション管理業に登録制度を導入し、管理業に関する広範な専門知識を備えた「管理業務主任者」をマンション管理業者に一定数在籍させることを義務づけました。また、管理組合の立場で専門的な助言を行う役割を期待して「マンション管理士」を国家資格として定めました。

同法の施行以降、管理組合による「マンション管理業者の変更(リプレース)」が相次ぎ、管理業者の経営努力と業務品質の向上が促され、それができない管理業者は淘汰されました。
管理業者のリプレースは、管理組合が独力で実施するのは困難であるため、そこにマンション管理士が一定の役割を果たしました。
近年では、管理組合からの過剰な要求や理不尽な対応があれば、管理業者の側から契約解除を申し出るような動きもでてきており、管理組合と管理業者は、健全な取引関係になりつつあるといえると思います。

マンション管理の新時代(2020年代~)

ただ、それで問題が解決したわけではありません。「2つの老い」と言われる建物の老朽化管理組合員の老齢化は着実に進み、マンション管理に関する専門的で多様な課題が浮き彫りになるなかで、マンション管理業者とマンション管理士がそれぞれの立場で管理組合を支えていくことが、より一層求められていく時代に入ってきました。

2022年4月、管理計画認定制度が始まりました。国と自治体は、個人の所有物であるマンションに対して、その管理状況を底上げし、改善していくことに一歩踏み込みました。
マンションが日本の生活基盤のひとつとなった今、その住環境を良好に保ち、向上させることは国民の生活を豊かにすることに直結し、逆に管理不全に陥れば外部不経済をもたらす存在でもあることから、マンションの管理を管理組合に任せ放しにせず、その質の向上に行政と管理業者、そして専門家も力を合わせて取り組んでいくことが大切だと考えています。

<管理組合応援団 団長>

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